特集 2 義演准后による史料保存 -『醍醐寺文書聖教』の伝来- 藤井雅子

特集2 義演准后による史料保存 -『醍醐寺文書聖教』の伝来-

今回、国宝に指定する旨答申された『醍醐寺文書聖教』は約七万点におよび、全て五五八函の箱に収められ、醍醐寺霊宝館に保管されています(写真)。これらの膨大な史料は、どのように伝来されてきたのでしょうか。

いうまでもなくこれらは、醍醐寺の草創以来、多くの祖師や先師によって撰述・書写されたものですが、これらの管理や保存において重要な役割を果たした人物がいました。その一人が三宝院門跡義演准后です。

義演〔永禄元年(1558)~寛永三年(1626)〕は、関白二条晴良の息として生まれ、永禄七年(1564)将軍足利義昭の猶子として三宝院門跡義堯のもとに入室しました。元亀二年(1571)報恩院雅厳について得度し、天正四年(1576)醍醐寺座主に補任され、同十三年准三后に宣下されました。義演が秀吉の後援を受けながら、醍醐寺伽藍の復興を果たしたことは「一 醍醐の花見」で述べた通りですが、それらが一段落した慶長五年(1600)頃から、義演は醍醐寺諸院家に残る、醍醐寺や祖師らに関わる文書・聖教史料の収集や書写を精力的に行い始めました。その目的の一つには「寺誌」である「醍醐寺新要録」編纂があったと考えられます(史料1)。

慶長九年(1604)正月、義演は七日間にわたって山上釈迦院にある「貳百余筥」に納められた「聖教」を「一覧」しています(「義」慶長九年正月廿日~廿八日条)。釈迦院は、鎌倉後期に隆勝によって草創された醍醐寺の代表的な院家で、真言密教の嫡流の一つ三宝院流を隆勝が相承したことにより、重要な文書や聖教が同院に数多く伝わりました。義演はまず初日に、鎌倉時代から聖教が「散失」せずに残されていることに「目を驚」かし「随喜」しています(史料2「義」同月廿一日条)。そしてこれらの聖教の中から「書写」したいものを選り分け、目録を取りながら「一覧」しました。同月晦日には「借用」する「聖教」の「目録」と、お礼の「経蔵上葺」料「銀子貳枚」を使いに持参させ、「聖教」を取りに行かせています(同晦日条)。こうした行為は、醍醐寺を束ねる座主といえども自由勝手に「聖教」を持ち出すのではなく、目録を取り交わした上で貸借を行うことにより、「聖教」の紛失を防ごうとする義演の意図に基づくものと考えられます。

その「借用目録」の写しが『醍醐寺文書聖教』の中に残されていますが(「第二寺録箱入目録并醍醐寺新要録目次」107函26号1番)、これはいわば義演による史料の管理・保存のための覚書といえましょう。何故なら、義演はこの冊子の中に、先の目録のみならず、自らが書写した聖教の一覧を記録したり、「醍醐寺新要録」の目次や編纂におけるメモなどを書き付けているためです。「醍醐寺新要録」の草稿は『醍醐寺文書聖教』の中に多く散見されますが(174函10号、181函63号等)、とりわけ本史料は義演による「聖教」調査の方法や寺誌編纂の具体的な過程を知ることができる興味深いものと考えられます。なかでも注目されるのが、祖師定海、元海らの花押の分析で、これらを書き写すだけでなく、自筆かどうかも検討しています。そして義演は平安院政期に醍醐寺座主元海が残した起請文を書写していますが、その目的については「後代に残さんがため、末資に知らしめんがため」と記しています(史料3、2函12号)。

また義演は「聖教」を保存する箱の修理や新調を頻繁に行いました(「義」慶長七年六月四日・寛永元年四月十九日条等)。今回指定されました全五五八函の箱の中にも、義演が新造したものが少なからず残されており、その一つである三〇五函には、義演による朱漆で次のように書かれています。

(箱上蓋内側)
 古箱外新造箱四十合目録 寛永元甲子 義演
(箱外側底面)
 古聖教箱外 予新造 四十合 寛永元古箱外甲子 義演
    雑箱相黒塗十合
    十度箱相黒塗十合
    杉箱赤染十合
    十干箱相黒塗十合

義演は、これらの文書聖教箱の修理・新調にあたり、「累代聖教」は修理した「本(もと)」の「目録箱ニ奉納」し、自身が「書写」したり「伝領」した「聖教」は「新調」した箱に納めて区別をしていたようです(「義」慶長七年正月廿二日条)。これは史料の保存形態は基本的に尊重すべきであるという、現在に通ずる手法を義演がとっていたことを示しています。

以上の通り、義演は醍醐寺内に所蔵される「文書」「聖教」の収集や書写だけでなく、それらの管理・保存に積極的に取り組んだことが知られますが、それは「聖教散失せざるよう、門下として守護すべきの由、仰せ聞こしめしおわんぬ」(「義」慶長十二年四月十四日条)という思いに根ざしたものであったようです。こうした義演の思いが後世にも継承されることにより、他寺に抜きん出た数の史料群がほとんど散逸することなく、現在も醍醐寺に残されたのです。

-参考文献-

  • 図録『世界遺産 醍醐寺展-信仰と美の至宝-』 日本経済新聞社、平成十三年
  • 『醍醐寺大観』第三巻 岩波書店、平成十三年
  • 『醍醐寺文書聖教目録』第六巻 勉誠出版、平成十五年

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