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聖宝理源大師1100年御遠忌日程

醍醐寺の開山・聖宝尊師は、幼名を恒蔭(つねかげ)王といい、天長9年(832)2月15日現在の香川県本島でお生まれになられた。16歳の時、弘法大師の実弟・真雅僧正の弟子となり、真言密教はもちろん、奈良の東大寺を中心に南都の仏教(奈良仏教)を学ばれました。

そして様々な仏教教学を学ぶ一方、弘法大師伝来の密教修行や修法にも精進した尊師は、貞観16年(874)、43才の時に醍醐寺を開創され、さらには役行者の開いた大峯山に「峰入り」をなされ、龍樹菩薩、役行者と続く「祈りの世界」を霊異相承(目に見えない心のお話)として受け止められました。修験道を真言密教の祈りの世界を中心に、理論と実践方法を大成させたことから「大峯山中興の祖」、「当山派修験道の祖」と仰がれ、大峯山を「一乗菩提正当の山」とし、修行を通して自らの心と体で学んだことを「実修」という2文字であらわし、また学んだで得たことを人々のために活かして行くことを「実証」とし、この二つの修行、即ち“入りて学び、出でて行う”ことを「実修実証」として説かれ、醍醐のみ教えの中心としました。

尊師は、延喜9年(909)7月6日に78歳で世寿を終わるまで、まさに「実修実証」の中に身をおき、醍醐教学を確立、真言宗小野法流の基礎を築くなかで、民間信仰である「修験道」と「密教」を融合させ、「民衆の救済」の為にその生涯を捧げられました。

寂後、高徳な人物に朝廷から与えられる諡号(シゴウ)「理源大師」の号が、宝永4年(1707)東山天皇によって与えられた。

本年(平成21年/2009)は、聖宝理源大師1100年御遠忌を迎えます。

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