境内案内

国宝や重文だけで7万5千点以上、未指定の文化財を含めると、約10万点以上に及ぶ寺宝を収蔵。彫刻、絵画、工芸、古文書など、日本の仏教史や美術史上貴重な資料が収蔵されています。春と秋に特別展を行っています。
上醍醐から下醍醐を含めて約200万坪に及ぶ広大な寺域をもつ醍醐寺には、京都で最も古い天暦5年(951)建立の五重塔をはじめ金堂、薬師堂など歴史的に貴重な建造物、さらには仏像・絵画・工芸品など10万点以上(うち国宝75,537点、重要文化財430点)の寺宝を伝承しています。これらの寺宝は創建以来、歴史の座主を中心に多くの僧侶たちによるたえまない努力と人々の祈りによって、守りつづけられてきました。
「醍醐寺霊宝館」は、これらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として昭和5年(1930)の醍醐天皇千百年御遠忌に計画され、昭和10年(1935)に開館。昭和54年(1979)に新収蔵庫3棟を新築。平成13年(2001)には上醍醐薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示室を増築しました。
また、上醍醐五大堂に安置されていた重文「木造五大明王像」も平成26年(2014)に初めて山を下り、霊宝館に遷座されております。現在は、諸堂に祀られている諸尊以外のほとんどの寺宝は「霊宝館」に安置しており、みなさまにご拝観していただけるよう、順次公開しております。

醍醐大しだれ桜

東西24m、南北20mに枝を廻らせて咲き誇る「醍醐大しだれ桜」は、樹齢180年の大木。霊宝館にはこの他にも40本以上の桜がある。推定樹齢100年のソメイヨシノはソメイヨシノとしては京都最古の大木で、高さは11mを越える。また、醍醐の花見の最後を飾る「白山大手毬」は、その名のとおり手毬のように球状に花が咲く。

国宝 薬師三尊像(木造/平安時代)

醍醐天皇の発願により建立された薬師堂の本尊。病気を癒し、苦しみを除く仏として、開創以来多くの信仰を集めてきた。特に病や痛みと同じ場所へ金箔を貼り祈る信仰から「箔薬師」といわれ、聖宝の弟子の会理僧都(えりそうず)(852~935)の作と伝えられている。

霊宝館 玄関

霊宝館カフェ

醍醐大しだれ桜

西大門
仁王像

西大門(仁王門)

豊臣秀頼が金堂の再建の後、慶長10年(1605)に再建したもの。そこに安置されている仁王像(重文)は、もとは南大門に祀られていた尊像で、平安後期の長承3年(1134)に仏師勢増・仁増によって造立された尊像です。体内の墨書、納札等に南大門から移された経緯などがかかれています。

清瀧宮本殿/清瀧宮拝殿

醍醐寺の総鎮守清瀧権現(せいりゅうごんげん)を祀る鎮守社。永長2年(1097)に、最初に建立された上醍醐より分身を移し祀りました。その後、この社殿の前で清瀧会(桜会)が行われるようになりましたが、文明の兵火により焼失。現在の社殿は永正14年(1517)に再建され、慶長4年(1599)、座主・義演(ぎえん)僧正により拝殿の整備が施されました。毎年4月1日から21日まで『清瀧権現桜会(さくらえ)』として様々な法要が行われています。

金堂

醍醐天皇の御願により延長4年(926)に創建された建物。当時は釈迦堂といわれていましたが、永仁、文明年間に二度焼失しました。現在の金堂は豊臣秀吉の命によって紀州(和歌山県)湯浅から移築が計画され、秀頼の時代、慶長5年(1600)に完成しました。この金堂が、醍醐寺の中心のお堂であり、安置されている薬師如来坐像が醍醐寺の本尊です。

五重塔

醍醐天皇のご冥福を祈るために、第一皇子・朱雀天皇が承平6年(936)に着工し、第二皇子・村上天皇の天暦5年(951)に完成しました。初層の内部には両界曼荼羅や真言八祖が描かれており、日本密教絵画の源流をなすものといわれています。高さは約38メートルで屋根の上の相輪は約13メートルあり、相輪が塔の三分の一を占め、安定感を与えています。京都府下で最も古い木造建築物となっています。

不動堂・護摩道場

堂内には不動明王を中心に五体の明王を奉安しています。また、堂前の護摩道場では、当山派修験道の柴燈護摩が焚かれ、世界平和など様々な祈願を行っています。

真如三昧耶堂

もとは朱雀天皇の御願により法華三昧堂として天暦3年(949)に創建されましたが、文明2年(1470)に焼失。現在の堂は平成9年(1997)に真如三昧耶堂として建立されました。

祖師堂

慶長10年(1605)9月座主義演准后(ぎえんじゅごう)により建立されたもので、真言宗を開いた弘法大師・空海と、その孫弟子で、醍醐寺を開創した理源大師・聖宝とが祀られています。弘法大師の誕生日である6月15日には、降誕会が行われます。

観音堂

この観音堂を中心に広がる、林泉及び弁天堂、鐘楼、伝法学院等を総称して大伝法院と呼びます。これら諸堂は、醍醐天皇一千年御忌を記念し、昭和5年(1930)山口玄洞居士の寄進により造築されたものです。

下記の御朱印、納経等は観音堂にてお受け致しております。
◆総本山醍醐寺 ◆真言宗十八本山 ◆神仏霊場会
◆西国三十三所第十一番札所 ◆近畿三十六不動尊霊場第二十三番
◆西国薬師四十九霊場第三十九番 ◆役行者霊蹟札所

弁天堂

紅葉やイチョウが色づく季節には、朱塗りの弁天堂が水面とよく合う紅葉の名所となっています。
堂内には、音楽などの学芸や知識の女神であるとして広く知られている弁才天(七福神の一つ)が祀られています。

報恩院

もとは上醍醐にあった極楽坊を醍醐寺第35世座主憲深僧正が活動拠点とし、報恩院と名前を変えたことに始まります。その後、後宇多法皇の命により下醍醐に移り、明治時代にここに移りました。
ここでは毎日午後1時から、堂内で護摩が焚かれ、本尊・不動明王に家内安全、商売繁盛、厄除招福を、また、堂前では自動車交通安全をご祈願しています。