年中行事



太元帥大法
令和4年10月3日(月)~10月9日(日)
於:三宝院本堂
太元阿闍梨:仲田順和猊下
※この法要への参座は寺院関係のみです。
太元帥大法 後拝み 詳細はこちら
令和4年10月10日(月)~12月4日(日)
於:三宝院本堂
※特別拝観としてどなたでも
ご参拝いただけます。(パンフレット付)
※僧侶の案内付き後拝み(事前予約制)、
お守り付。

●お申し込みはこちらから







今上天皇陛下御即位にあたり、令和四年十月、醍醐寺において塔頭理性院に伝承される
故事にならい太元帥の大法を厳修


【太元帥大法とは】
太元帥大法は、仁壽二年(852)より毎年正月八日開白し七日間、宮中(後には醍醐・理性院)に於いて、
太元帥明王を本尊として修し、宮中の真言院(現在は教王護国寺)で毎年正月に真言宗各本山の代表の高僧によって
行われる国家安穏を祈る後七日御修法と双璧をなす大法のことです。この法は真言密教の秘法である儀軌や経典、
陀羅尼経等を所依として、鎮護国家の為に修する最大秘法です。



仁壽元年(851)、朝廷より「正月永く修すべき国典」と定められた大法

【歴史】
太元帥法を我が国に請来したのは、小栗栖・法琳寺の常暁と伝えられています。常暁は奈良の秋篠にて修行し、
若き日供養の閼伽水を汲む時に井戸の水底に忿怒形六面八臂の鬼神のような恐ろしい姿の仏を見たことを
きっかけに、承和五年(838)に入唐し太元帥法を習学、承和六年(839)に帰国した後に、太元帥法請来の旨を
朝廷に報告しました。仁壽元年(851)、毎年正月宮中内裏に於いて十五人の僧侶により、弘法大帥により始められた、真言院後七日御修法の例にならいこの法要を修行することを奏上し、朝廷より「正月永く修すべき国典」と
定められました。その後、毎年小栗栖・法琳寺別当がこの法を修してきましたが後白河法皇の時代に法琳寺での
大法は途絶え、代わりに小野の良雅が太元帥法を修しました。そして、室町時代以降 は、醍醐・理性院にて修する
こととなり、明治四年(1871)まで連綿と毎年執り行われ伝承されてきました。明治維新により中断されたこの
大法は、大正四年(1915)、昭和三年(1928)に天皇陛下御即位の時に修された記録が残っています。
醍醐寺は、太元帥法を天皇陛下即位時に国の安寧を祈り行う大法として、平成の御即位の時に真言宗各山会に
太元帥御修法を提言するも当時の世情により各山会では後七日御修法を以ってこれに替えるとし、
太元帥法は修されませんでした。



明治初年以来、百五十年ぶりに醍醐寺で大法を厳修し、令和を生きる人々の安寧と
幸せを祈ると共に、故事を次の時代に継承する


【令和の太元帥大法】
この度の令和の太元帥大法は、醍醐寺理性院流を伝承する 醍醐寺座主・三宝院門跡が大阿闍梨を勤め、
伴僧十四口にて執行します。本来、太元帥大法は鏡を用いた秘密の法のほか、後七日御修法と双璧をなす
大法なので天皇陛下の御衣を御加持する法となります。醍醐寺に伝承される国宝・「醍醐寺文書聖教」(以下、
醍醐寺文書)には「御撫物(みなでもの)」と記されています。御撫物とは、密教大辞典には「天子御願の御祈祷には
箱に御衣の単衣を盛り、朱縄を持って箱を結び、蔵人を勅使として祈祷の阿闍梨に付属し、結願の後帝これを身に
召させ給う。後七日御修法に於ける御衣の如し。これを以って玉體に擬するなり。」とあり、御衣は御撫物として
御加持・御祈祷するものです。今回の令和の大法では、醍醐寺文書の故事に沿った大法を修し、世の安寧、
世界の平和を祈ると共に、その祈りの姿を次の時代にしっかりと継承することに努めます。



醍醐寺蔵の重要文化財・太元帥明王十八面三十六臂像を本尊とする


【本尊】
太元帥大法の御本尊は、太元帥明王十八面三十六臂(或いは十八面三十臂、六面八臂)の尊像とされていますが、
この度は理性院伝来の醍醐寺蔵・太元帥明王十八面三十六臂像(重要文化財)を本尊とし、醍醐寺に伝わる文書を
参考に六幅を本堂にお奉りします。東面の正面御本尊には、十八面三十六臂像(重要文化財)、他五幅は、北東側を
四臂太元帥尊、西隣りの中央に毘沙門天尊、北西側に釈迦曼荼羅、南東側に八臂太元帥尊、南西側に虚空蔵曼荼羅、合わせて六幅をお奉りします。




明王とは、大日如来の化身である

太元帥大法では太元帥明王を本尊として修せられますが、明王とは、密教では大日如来の化身として衆生を仏教の教えに導く役割をもった仏様で、大きな怒りをもった形相(忿怒)をしています。人は穏やかな心と共に、争いや妬み、執着といった悪い心をもっており、その心を忿怒の相をもって調伏(押さえ付ける、振り払う)するという役割を、明王は担っています。太元帥大法では、調伏の護摩もたかれ、災いをもたらす悪い心を振り払い、世の平安を祈るという役割を持っているのです。


太元帥法法具 六種物(新調)
左から 鈎・鉄杖・宝棒・箭弓・刀・劔
天蓋幡(新調)

醍醐寺伝来の舎利塔

【道場の設定と法具】
本年、令和四年壬寅の太元帥大法の道場は、醍醐寺文書『太元御修法道場支度記』貞享五戊辰年之記、『宮中太元御修法図』、昭和三年十一月に教王護国寺(東寺・灌頂院)にて修された太元帥御修法の時に醍醐寺文書を書 写された『太元御修法道場支度記』(以下、全支度記の記録は内容がすべて同じであることから支度記と表記する)などを参考に整える事にしました。 この支度記は宮中の南殿(紫宸殿)にて修された記録でその形式から言えば「大法立」と呼ばれる秘法となります。「大法立」とは、大壇・護摩壇・聖天壇・十二天壇・神供壇の五種の壇を一道場の内外にかまえ、それぞれ連繋を保ち、 伴僧を伴って修法する法会であり、醍醐寺文書・理性院『口受秘々』の「太元帥法之事」には、太元帥法は増益、調伏護摩、息災護摩、敬愛は聖天壇と十二天壇の四種法と記述されていることから、必ずこれらの壇を構えなければなりません。今回の太元帥大法は、醍醐寺座主・三宝院門跡が 大阿闍梨を勤めることから、醍醐寺三宝院弥勒堂を道場とします。宮中の道場との違いから多少の壇の位置などの変更は必要と考えますが、全ての壇をそろえ、故事に忠実に道場を設定するように努めています。 法具、道具類は三宝院行者堂と光台院の蔵、霊宝館におさめられている法具と支度記の図面を参考として、今回の壇の寸法に合わせ新調しました。これら道具、法具類も文書類を参考に忠実に準備しました。